9.あまいやまい
「ウィルス?」
つい口にして、しまったと思った。どのような体験も正確に体感したくて、五感分散を回避しながら、それでも感情処理に長けているのだと自負してきたが、ついに完成したウィルスを前に小躍りしたいような気分で口を滑らせた。
人類が摂理を見いだして久しい。どのように見いだしたか、コンテンツには詳しいテクストがうんざりするほどあるだろうが、全てに目を通すには一生を費やすかもしれない。大まかにいえば、日常という着地点から摂理を逆算して、実際の摂理と鏡合わせにし、つじつまに妥協点を設け、その妥協点に世界を充てた。いわゆるブラフマン現象である。この現象世界において、人類は足場を得てグリッドという定礎を打ち立てた。これは世界という合意で共通認識だ。逆に言えば、共通認識がなければ、世界は成立しない。ちなみに実際の摂理というのは、実際の摂理という仮定だ。仮定でなければ、鏡合わせになどできぬし、妥協点の所在がなくなってしまう。要するにプログラムの一つだ。このプログラムのシナプスはもちろん、叡智だ。
「冗談だろ?」
冗談だと言っても、引き下がらないだろう。
「一度でいいから叡智に対面したい。そう思わない方がおかしくないか?」
信じられないというふうに、彼は首を振った。そして口にした。
「信じられない」
そう言われたら、冗談だと応じるしかない。もちろん全くの本気だが。
彼は叡智の擬人化などナンセンスと、僕の冗談に腹を立てぬよう部屋を出て行った。個の尊厳において、感情の発散は禁じられている。今はまだ自分のように、冗談で人を不快にさせる人間も少なくないが、そのうち冗談を言う人間などいなくなるだろう。おそらく自発的に。それが、世界と人類を保つためのグリッドなのだから。共通認識を持たなければ、共通認識としての個を失うだろうし、それはすなわち世界を選ばないということだ。だから世界は自発性へと移行した。仮定と言えども摂理を見いだすのだから、それはそういうことだろう。
しかし僕はあがいていた。プログラムの擬人化など、冗談にもならない馬鹿げたことだと分かっていても、尊厳の自発性へと移行しなければならぬとあってはやぶさかではない。
「それが叡智と話すことだと?」
一度退室して感情を落ち着けた僕のパートナーは、冗談ではないことに気が付いて戻ってきた。
「それしか考えつかなかったんだ」
彼はクスッと笑った。
「確かに、我々の世代は螺旋上、移行しきれないところがあるな」
「ずいぶん俯瞰するんだな」
僕が笑うと、彼も応じて笑みを浮かべた。そしてそれ以上ウィルスの追求はなかった。
次回 10.危険すぎる 本日 18時
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