3.ロッキンルーラ 1 / 2
「脳は個人が保有する端末。使い方はそれぞれだけれども、機能にさほど変わりはない。例えば蝶は夢を見ます」
「例えば蝶がどんな夢を?」
「例えを考えるのはあなたの仕事ですよ、ドクター」
彼女はきっぱり言った。そのような物言いをされるたびコマンドか何かかと思う。彼女の与える指針は常に的確で狂いがない。それで僕は記号を模索する。
「実は君の仕事なんだ。例えば蝶が見た夢はさ、機能に変わりない個人が保有する脳と、どのような関係を結ぶのか、それを君がどう考えているのか知りたいんだ」
僕は笑った。にこりとしたつもりだったが、ふざけているように見えたのか、彼女は何か確認するように目を細めた。口にするまでもなくうんざりしたに違いない。恐らくそうであろうと当たりを付け、想いに準じるべく、上体を反らして座り直し、僕はゆっくりうなずいた。すると今度はそれに応じてか、上体を反らした彼女は座り直して息を吸い、吐く息とともに「ドクターと名乗られるのなら」と言った。そして大きく見開いて目の玉を回転させた。これは彼女が与える指針ならぬ信号で、会話の分岐点を示している。黒目が始点から一周して終着点を得てのち、こちらによこす。
「機能にさほど変わりない、そう申し上げました。ならばこの場合あなたが考えるべきでは」
さほど変わりないのだからどちらが考えても同じ。なら、おまえが考えろ。と彼女は言っている。それで今日も僕は、記号を模索する。
「蝶が見た夢ですか」
確認のために呟いてみたが、彼女から読み取れるものはなかった。
「そもそも蝶に脳はあるのかどうか」
「ありますよ、ドクター」
「それなら例えたとしても不憫ではないですね」
「蝶が不憫と?」
「いや、僕が」
彼女は口をつぐんだ。こちらでは続く言葉がない。彼女が出す次の信号を待つのが妥当だろう。逃げ場のない対面で、不自然にならないよう視線をそらした。するとコツコツと彼女が指先でデスクをたたいて、次の信号は始まった。これは無数にある分岐点を示している。僕には無数に感じられる分岐点が、彼女にとっては確かな数で、それがコツコツと羅列し規則を得て、リズムとなり繰り返される。どことなく懐かしさを感じさせる躍動。さえずる鳥と虫の羽音。何事か緊張感を得る雄たけび。草木が風に揺れ、指針は確かな地に降り立つ。
「夢と現の線はどこに引かれるのでしょうか。睡眠、と考えるのが妥当かもしれません。しかし夢の最中に寝ている自分が目を覚ますこともあり、目を覚ましていても夢想に耽りと、せわしなくその線引きは揺らぎます。夢は、潜在意識に押し込んだ認識が、顕在意識とつながるためにあるものと認めますが、その人自身であるはずの何かが、その人からも隠され、隠されたまま別の形、なんとも不思議なストーリーに置き換えられ提示される。それも事の始まりは夢か現かの線引きではなく、現実において『これは認識してはいけないよ』と自身に課した線引きである」
彼女は一息にそう言った。僕は踏みしめる大地のまま、彼女の言に従うべく話をつないだ。
「あなたがおっしゃるように線引きすれば、例えば蝶の夢を考えることができるかもしれません」
彼女は当然とうなずいた。
「僕が初めて線引きしたときの話をしても構いませんか?」
彼女は構わないとうなずいた。
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